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HISTORY

安全・快適をつくる

ヒストリー

1964

世界初の高速鉄道、東海道新幹線が開業し、これまでとは違う、高速鉄道に対応した1ミリ単位の高度な保線技術が必要になりました。

当社は、東海道新幹線の線路を整備・修繕するために誕生しました。従来の特急列車の約2倍の速度で走る新幹線の線路は、今までの2倍以上にゆがみやすく、列車の揺れが大きくなるため、より精度の高い保線を行う必要がありました。従来の保線は人の力で行っていましたが、それでは対応できなくなるため、保線機械「マルチプルタイタンパー(通称:マルタイ)」の導入が必要となったのです。

東海道新幹線開業セレモニー

1964年10月 東海道新幹線開業セレモニー

会社設立準備に携わるメンバーたち

1966年 会社設立準備に携わるメンバーたち

1970

山陽・東北・上越新幹線の建設工事に関わり、当時の日本の4つの新幹線すべての保線を任されるようになりました。

当社設立直後には、東海道新幹線の保線作業を担当しましたが、その実績が認められ、山陽・東北・上越新幹線の建設工事に関わることになりました。各新幹線の開業後には保線作業を任され、業務は急速に拡大していきました。

山陽新幹線(新大阪〜岡山間)開業

1972年 山陽新幹線(新大阪〜岡山間)開業

東北新幹線(大宮〜盛岡間)開業

1982年 東北新幹線(大宮〜盛岡間)開業

上越新幹線(大宮〜新潟間)開業

1982年 上越新幹線(大宮〜新潟間)開業

1985

線路を修繕する長さは、東京→大阪間の約3倍に相当する延べ1,600kmもの長さになりました。

当社は、東海道新幹線の開業以来、一部の区間を除いて保線に関わってきましたが、1984年、全線にわたり担当することになりました。これにより、修繕の長さが飛躍的に伸長しました。作業を開始した頃の1969年、修繕の長さは830km/年でしたが、1985年には1,600km/年にも及び、16年間で約2倍に。東京→大阪間約500kmの3倍以上もの長さを保線したことになります。

東海道新幹線開業セレモニー

1969年 BNRI-80自社マルタイ1号機のマチサ社製マルタイ

東海道新幹線開業セレモニー

1988年 09-32CSMアジアでは最新鋭の機種であるプラッサ一社製の自社マルタイ

1992

当社は、JR東海のグループ会社に。時速270km「のぞみ」の誕生により、さらに「乗り心地」を重視するようになりました。

国鉄はJRに生まれ変わり、その5年後に、当社はJR東海グループの一員になりました。この年に最高時速270kmの新幹線「のぞみ」が運行開始となり、目覚ましいスピードアップを実現。乗り心地の改善にも一層、力を注ぐようになりました。

JRグループ誕生

1987年 JRグループ誕生

東海道新幹線「のぞみ」運行開始

1992年 東海道新幹線「のぞみ」運行開始

2001

「のぞみ」と同じ時速270kmで、線路を精密に点検する「ドクターイエロー」の検測業務を開始しました。

新幹線の線路の状態を調べる総合試験車「ドクターイエロー」の検測業務を担当することになりました。この年には「のぞみ」と同型の700系ドクターイエローが誕生。それまでは時速210kmで行っていた検測が、時速270kmで可能になり、新幹線と同じ条件のもとで「揺れ」などの乗り心地を高い精度で測定することができるようになりました。

3世代のドクターイエロー(左からT4、T2、T3編成)

3世代のドクターイエロー(左からT4、T2、T3編成)

ドクターイエロー